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書籍・雑誌

2012年4月 8日 (日)

「ダブル・ファンタジー」

「ダブル・ファンタジー」 村山由佳著 文藝春秋社

誰の言葉か忘れてしまったが、この分厚い小説を読んで

「他人に抱かれる度、少しだけ死んだ気がする」

というフレーズが頭の中をループして、終わらない。

主人公の奈津は結婚していながら、性的にオープンな人であり

脚本家という仕事上、知り合った男たちと切れることなく

夫とはできない営みを行い、自分の欲求を満たそうとする。

かといって、「寝る」ことだけが彼女を満たすのではなく

彼女が選ぶ相手の条件には「話がうまい」「尊敬できる」などの

要素も加味されねばならず、彼女は常に惚れてしまうのだ。

相手には妻がいて、最初は一晩だけ、ともにしたいと願う。

それが、終わった後にはもう一度会いたいと期待する。

二度目があったら、好きになってほしいとまで考えてしまう。

結局、メールをガンガン送る彼女を疎ましく感じた人もあれば

家庭とのバランスがとれなくなった人もあり

離れていってしまう男たちは、彼女の強欲なエネルギーに疲れるのだろう。

もっと、もっと。最後には愛してほしいとまで懇願する女は

自分がそういう女だと気づいていない節があるから、タチが悪い。

さらに厄介なのは、脚本家という仕事のせいなのか

彼女が相手の言動を深読みし、それでいて自分を抑制しようともがき

恋でも愛でもない、この状態をあまり楽しめていないことだと思う。

彼女には男が常時、必要なのだが、いたらいたで孤独を感じる。

かといって、男がいないと「自由ってなんてさびしい」と震えてしまうのだ。

女の欲深さと傷つきやすさと、さまざまな表情を読みながら

共感するかどうかは、大きく分かれる本かもしれない。

2012年4月 6日 (金)

「向田邦子の陽射し」

「向田邦子の陽射し」 太田光著 文藝春秋社

爆笑問題の太田さんは私と同じ昭和40年生まれで、同学年。

地元に戻って、TBS系列の深夜ラジオを聴くようになった頃

彼が心から向田邦子さんを敬愛していることを知った。

その数年後には当時、NHK教育テレビの番組で

向田ドラマのどこが素晴らしいのか、唯一無二のものなのかを

具体的なシーンを例に取りながら、解説してくださり

向田ファンでありながら、あまり分析したりしていなかった私にとって

「ほー」と唸るほど、太田さんは向田ドラマの深みを語っていたものだ。

以来、向田邦子全集文庫版の解説を書いたりと

多くの仕事をこなしてきた太田さんによる、向田作品の解説本というか

向田さんへのある種のラブレターがこの本だと思う。

「向田作品は不道徳でありながら、上品である」という太田さんの評価は

私も本当にそうだなと考えている。

人間がいかに不道徳で、清濁あわせ持つ存在で

白も黒もない、善も悪も混ざり合った複雑なものであることを

向田ドラマや小説は、一見ふざけたフリをしながら、ユーモアをまぶしつつ

見る者や読む者に、容赦なく伝えてくれるのだ。

昭和4年生まれの向田さん。あの飛行機事故がなければ

いまもお元気でいらしたら、2012年の日本にどんなドラマを書いただろう。

いまだに新しいファンを獲得し続ける向田さんの魅力とともに

批評家としての太田さんの筆力が感じられる一冊。

2012年3月 5日 (月)

「ニシユキヒコの恋と冒険」

「ニシノユキヒコの恋と冒険」 川上弘美著 新潮社

タイトルどおり、彼の恋をめぐる物語がいくつか、短編で綴られる。

幼い頃、青年の頃、老年になってしまった頃。

けれど、恋の顛末を語るのは、関わった女の側だけ。

ユキヒコがどう思ったのか、どう感じたかは、よくわからない。

全体を通じて少しだけ理解できるのは、この男性が

本当の意味で、どの女性とも恋愛してないということだ。

一緒にどこかに出かけたり、気ままに時を共有したり

ベッドをともにしたり、他人が見れば恋人然とした行動を

取っているようでいて、女性たちも彼も、自分たちの微妙な

遠さを常に実感し、相手に深入りすることがない。

言葉では愛を語ることはあっても、そこになぜか実体はなく

「恋愛のほとりでたたずんでいる」だけの時間を、どの女性も体感するのだ。

それは、ユキヒコが小さい頃に経験した喪失体験とあるいは

関係があるのかもしれないが、そうとも言えないかもしれない。

いつも複数の女性と会い、自分の透間を埋めようとしながらもできない

ユキヒコに私自身はずいぶんと、自分を重ねてしまった。

私に彼のような喪失体験はないが、一つだけ言えるのはいまだに

恋することは理解できても、愛することが理解できないこと。

愛されないことに敏感な女性たちは自然と、ユキヒコから離れていくが

ユキヒコにその原因が最後までわかってなかったことが、悲しい。

まあ、ほとんどの人間がわからないことばかり抱えて

この世とおさらばしてしまうのかもしれないが。

「博愛」でも「人類愛」でもない、「恋愛」について考えてしまう一冊だった。

2012年2月17日 (金)

「猫とあほんだら」

「猫とあほんだら」 町田康著 講談社

「猫にかまけて」「猫のあしあと」に続く、町田家と猫たちとの

関わりを綴った一冊。

私は猫が大好きなもので、「猫」「ねこ」と背表紙にある本を

見つけるとつい、ぱらぱらめくってしまうのだが

それが、大ストライクの町田氏の本なら読まずにはいられない。

なにが、ストライクか?

まず、美形でいらっしゃること。どことなく憂いがある面立ちのこと。

でいて、パンクロッカーであり、純文学の作家であり

その上、話す言葉は大阪弁ときてますがな、これ。

おまけに、柳美里さんの著書によると、奥様ともども

修羅場真っ最中の柳さんの子どもさんを預かったりもして。

猫たちについていえば、大きくなりすぎて里親ができない

彼らを仕事場で保護(というかほとんど飼育)していたり。

もー、どんだけ優しいねーん!と最初の本でも思ったけれど

パワーアップしてましたね、さらに。

町田さんの小説を読もう、読もうと思ってはいるものの

なかなか手に取れずにいた私だったが

猫たちのエサのために、久しぶりに本をきちんと買おうかなあ。

とまで人をかりたててしまう、愛すべきあほんだらの本でした。

2012年2月15日 (水)

「さらば雑司ヶ谷」

「さらば雑司ヶ谷」 樋口毅宏著 新潮社

TBSラジオ「キラ☆キラ」のパーソナリティでもある、浅草キッドの

水道橋博士が昨年、猛烈にプッシュしていた本「民宿雪国」作者の

デビュー作。最近、文庫化され、解説には水道橋博士と

映画評論家の町山智浩氏が寄稿されたそうな。

「民宿雪国」の世界にいまいち、馴染めなかった私。

その危惧はビンゴで、ツイッターで人々が熱烈に賛美するほど

自分の中には、入ってこなかった。

たとえば、これも昨年、一部マニアの署名運動によって

日本公開が実現した映画「キック・アス」。

たとえば、マフィアやギャングを題材としたノワールと呼ばれる

数々の映画群。

そこにあるのは、暴力と殺戮と鑑賞する者を置いていくほどの

スピード感だったりする。

暴力が日常にあり、他人を傷つけることに躊躇のない人生を

ファンタジーとして、もしくはある種のリアルな物語として読めるほど

私自身、そして自分の人生に「他者への暴力」は存在しないのだな

と、咀嚼しきれない小説を読み終わって、あらためて思う。

巻末には、著者がオマージュを捧げた作品が列挙されてあったが

残念なことに、ほとんど縁のないものばかり。

これでは、本作の理解度もかなり低いと言わざるを得ない。

「攻殻機動隊」の暴力が受け入れられて、これがダメなのはなぜなのか。

いろいろと考えてみたけれど、まだ答えは出ていないわけで。

2012年2月11日 (土)

「ほかならぬ人へ」

「ほかならぬ人へ」 白石一文著 祥伝社

2010年142回直木賞を受賞した表題作と

「かけがえのない人へ」の二編が入った一冊。

物語は二つとも、恋愛と結婚をめぐってあれこれ惑う男女を通して

「ほかならぬ」「かけがえのない」人と出会うことの難しさや

人との縁の不思議さや大切さを感じさせてくれる、作品だった。

知り合いをみても、10年同棲して別れた人もいれば

婚約中に違う男性からプロポーズして、乗り換えた人もいる。

熱烈な恋愛をして結婚しても、奥さんをボロカスにけなす人もいる。

一つひとつのカップルにそれぞれの物語と時間があって

うまくいく場合もあれば、そうでない場合もある。

恋愛は心を全開するものだが、結婚は心を半分閉じるものかもなあ。

なんて、バツイチの私が言っても説得力がないけれど

ほとんど恋愛を卒業してしまった自分がこんな小説を読むと

若い頃、好きな相手が笑顔で振り返っただけでうれしかった

そんな自分が懐かしく、切なく、遠く感じられて、きゅんとした。

恋愛にも結婚にも、いろんなステージがあって

ラブモードあり、バトルモードあり、小さな幸せたくさん、あり。

失った人であっても、その人との出会いがいま

私をこの場所へ運んできてくれたのだなと、しみじみ考え込んだ立春の日。

2012年2月 3日 (金)

「ポーカーフェイス」

「ポーカーフェイス」 沢木耕太郎著 新潮社

最近、更年期障害なのか、激しい加齢のせいなのか

読んだ本のことも見た映画のことも、3秒くらいで忘れてしまう。

この本は、ツイッターで絶賛されていたので

超久しぶりにハードカバーを購入したのだが

読んだあと、内容をほとんど覚えていない自分が情けない。

沢木耕太郎さんとの出会いは高校時代。

向田邦子さんの文庫解説を書いておられて、その名を知った。

以来、「深夜特急」をのぞいて、ほぼ全部の著書を読んでいるが

「深夜特急」と同じく、今回の作品は私の何かに触れなかったのだろう。

ふりかえってみると、沢木さんの著書で私が惹かれるのは

沢木さんご本人にまつわるエピソードというより

ある第三者を丹念に取材し、インタビューして構築した本のようだ。

檀一雄夫人の語りによって、彼と家族のありようを描いた「檀」や

さまざまな人への取材から成る「馬車は走る」など

沢木氏の聞き出す能力が発揮された本に、魅力を感じている。

「彼らの流儀」も市井の人の小さなエピソードを綴った一冊だが

この文庫本も、何度読み返したかわからない。

なるほど。「ポーカーフェイス」はエッセイなので、自分は不得手だったのか?

と思いつつ、もう少し暖かくなったら、読み返してみる予定。

2011年7月17日 (日)

「罪と罰」

「罪と罰」 本村洋・宮崎哲弥・藤井誠ニ著 イーストプレス

山口県光市母子殺害事件の遺族である本村さん

評論家の宮崎さん、少年事件にも詳しいフリーライターの藤井さん

三人の対談形式で、光市事件で浮き彫りになった

少年事件を取り巻く問題や、当事者・本村さんの心情を

語り合った一冊。

本村さんについては、事件発生時からマスコミに追いかけられ

さまざまな表情や言動が取り沙汰されてきたが

この本は死刑判決が出た後での対談でもあってか

彼の冷静で客観的な視座が特に印象に残る。

10年もの間、いろいろな感情と理性的な考えの間で揺れつつ

「たくさんの人との出会いがありがたかった」と言える

彼には、人間としての大きく深い度量が備わっていると感じた。

備わっているというか、元々、その資質があり

事件と裁判によって、それが磨かれ、大きくなっていったのだろう。

突然、家族を奪われた理不尽な悲しみのなか

個人としてマスコミに対応し、一人で裁判に通った本村さん。

彼の存在がなければ、裁判の被害者家族への対応が

改善されることもなかっただろう。

守られるのは加害者であって、被害者家族ではない。

被害者家族は、裁判になるまで事件の真実にたどり着けない。

殺人事件の多角的な側面が、彼によって数多く浮き彫りにされた。

本著では、死刑廃止論者の宮崎氏とそうでない二人の

攻防もあるが、私自身はどちらかといえば、宮崎氏に同意する。

死刑より「禁固200年」の方が、私なら絶望するだろう。

その方が、大きな罪をおかした者としては辛いだろうし

第一「死刑になりたい」といって、人をあやめる人もいなくなるだろう。

遺族としては、「死には死を」と思うのも当然かもしれないので

その点をどう考慮するかは、課題だと考えられるが。

小さい頃、「衝動殺人、息子よ」という映画を観たことがある。

教師だった父が文部省推奨作品をたまにチェックしていて

これもその一本だったのだが、いまでも、主演をつとめた

父・若山富三郎さんが雨の中でビラを配る姿を、覚えている。

息子を刺殺した犯人をみつける手がかりをつかみたい。

その一心で、両親や友人はチラシを配り、頭を下げる。

70年代の映画だが、被害者家族の立場は変わったのだろうか。

いまでも、未解決事件は多く存在し、被害者家族は悲しみを抱えている。

最近、コールドケースになる事件が増加しているにつけ

犯人が早期に発見され、裁かれた人はむしろ幸運だったのかとも思う。

突然、犯罪に巻き込まれる可能性は誰もが有している。

一つの事件を通じて、日本の裁判制度にまで敷衍できる

鼎談をぜひ、たくさんの人に読んでほしいと考えている。

2011年7月13日 (水)

「史実を歩く」

「史実を歩く」 吉村昭著 文春新書

「破獄」「長英逃亡」「桜田門外の変」「生麦事件」など

歴史的事実に基づく小説を書いてきた著者が

小説を書く前にどのような取材を行ったか

どんな人に会い、どんな史料に出会ったのか

上記の作品にまつわるエピソードを綴ったエッセイ。

以前、別のエッセイを読んだときにも感じたが

この方はとにかく、「現場百回」の刑事のように

史実にまつわる人、史料を探すため、関連した土地

関わった人の子孫が住む土地、日本全国あらゆる場所へ

すいすいと移動してしまって、そのエネルギーと

膨大な取材と並行して文章を綴る情熱に心がじんとする。

たとえば「生麦事件」については、史実に残る被害者の傷が

地面から切りつけたにしては、高い位置にあるのが疑問になる。

そして、吉村氏はある流派では長い刀を用いることがわかり

今も伝承されている技を実際に見て、史実の真実を確認するのだ。

また、本書を読むと実感できることは、日本各地に

それぞれの土地にまつわる地元歴史家が多数、存在すること。

吉村氏の取材はたびたび、こうした在野歴史家の調査によって

かなりの確率で多くの事象の真実にたどりついている。

「一つの事件について、二人以上から証言を取る」

ここまで自分に厳しい課題を背負わせた吉村氏が

多数の小説を遺してくれたことに感謝をしつつ

もし、いまもまだ氏が健在なら、何を書いているだろう。

ある時期から調査が困難になったこともあり

歴史小説から離れた吉村さんに、2011年の日本について

コメントしてほしいなと思った。

2011年7月11日 (月)

「偽装国家 Ⅱ」~底なし編

「偽装国家 Ⅱ」 勝谷誠彦著 扶桑社新書

2007年12月30日初版のこの本では、タイトルどおり

当時のニュースを席巻した「偽装」のカラクリと構造を

多角的に分析しているのだが、自分の忘れ脳に呆然。

ほとんどのニュースが過去のものとして認識され

書いてあって初めて「あー、それもあった」と思い出す始末。

最近、よくチェックする「現代ビジネス」のコラムで

爆発するスイカをはじめ、中国内陸部を中心にはびこる

毒性物質を含んだ食品について驚いていたのだが

日本でもあったし、いまもあるんだろうと思う。

「米トレーサビリティー法」が施行されて、米、米関連製品の

原産地(国産か外国産か)表示が義務づけされたけれど

この法律で何が変わるのか、いまひとつ理解できず。

本作で一番考えさせられたのは、勝谷氏がこの時点で

既に「原発建設についての耐震偽装」を書いていることだった。

なぜ、ややこしい作業をしてまで「偽装」をするのか。

偽装する当事者が儲かるのはもちろんだが

製品なら納入業者、食品なら監督官庁の農水省さえも

おいしい思いができているから。

偽装の中でも悪質な「耐震偽装」や「耐火材基準偽造」は

製品のように破棄すれば済む問題でもなく

被害者には長い間、さまざまな不利益がふりかかってしまう。

そして、勝谷氏がなにより激怒しているのが、大マスコミ。

これについては、大震災を通じて明らかになっているのだけれど

2007年に勝谷氏がこの本で書いたことは有意義だと考える。

知らない間に談合したマスコミによって、限定した情報だけ

各社が同じ報道を同じアングルで撮った写真だけ、見せられる庶民。

偽装問題だけではなく、あらゆるニュースについて

個々が一次情報の確認や他社との比較など

工夫して状況を理解する能力を上げることが重要かもしれない。

それにしても、いつも辛口の勝谷さん。

どこにもしがらみがなく、経済的に自立しているからできる技。

「電力芸人」なんて呼ばれてる人たちとは違う目線が、常にある。

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